6月の後半だったか?7月に入って早々だっただろうか?
伊織さんが台湾でのイベントに出演すると知ったのは・・・

詳細はわからないことが多かったが、8月16日ということだけはわかった。
この時点で1ヶ月半の期間があった。

2010年5月、中国の深センでのイベントがあったが、これはあまりにも準備期間がなかった。
ゴールデンウィークをはさんでのパスポート取得・・・この時点で諦めるしかなかった。
いや、もしパスポートが間に合っても、資金的にどうにもならなかったであろう・・・

諦める。

いつから、これを受け入れる自分になったのだろう?

辞書で「諦める」を調べると

望んでもかなわないことがわかって、望むのをやめる意

とある。

伊織さんが声優になってから、最初のうちはそれほどイベントが多くもなかった。
だが、年々その数は増え、それ自体は喜ばしいことなのだが、一回一回のイベントに参加するにも高価なDVDを買わなくては参加できないし、安価なイベントは競争率が激しかったり・・・
それに加えて自分の勤務体制と収入の状況は芳しくなく、参加率は下がる一方だった。

はじめのうちは、悔しいがこれは無理だと泣く泣く断念してきたが、そのうち悔しさも忘れ、安易に取捨選択をするようになっていた。

今や野水伊織は人気声優で、日々知名度を上げ、着々とファンは増えている。
もう、自分が応援する、しないなんてことはどうでも良いことなのではないだろうか?
そんなことを考えたこともあった。

なにもファンをやめるわけではない。

現場に行かなくても、アニメを見て、ラジオを聴き、CDを買い、ネットで情報を得る。
それだけでも良いではないか?

良いのか?お前は、本当にそれで良いのか?



良いわけがない。

何があっても、伊織を応援し続ける。
俺の中の一等賞が、世間の一等賞になるまで見届ける!
そう誓ったのだ。

応援と一言で言うが、そもそもファンが、その対象になる人を応援するということは、どういうものなのだろう?
さっき書いたこともファンであり、応援する気持ちに変わりはない。
だが、俺の考える応援とはそれだけじゃない。
どんな事情があっても現場に行き、ありったけの想いを込めて、最近はそうもいかないけど、全力で飛んで叫ぶのが応援だと思っている。
ありったけの想いを表現する方法としては稚拙だと思うが、それしかないのだ。
素直に、会いたい、近くにいたい、大好きだという想いをぶつけ、その熱意を感じてもらい、その人にがんばる力を与えること。
それが俺の考える応援というものだ。

だが、実際にはその人のパフォーマンスで自分ががんばる力をもらっているのだけどねw

伊織さんのイベントには沢山参加させてもらって、色々な思い出があるけど、中でも忘れられないイベントがある。

それは2006年のことだが奇しくも台湾の予定と同じ8月16日に行われたイベントだ。

その日の日記にこう書いてある。

以下抜粋

応援には色んなスタイルがありますが
手拍子しながら、飛んで、跳ねて、叫んで
体全部で思いっきり応援するのが好きですw
まあ、体力的にかなりキツクなってきましたがw

ここのところ、そんな欲求を満たすことが
できないことが続いてましたが、昨日のライブは
久しぶりに全力で応援できた楽しいライブでした。
そして、なによりチームのみんなが伊織ちゃんを
求める心が強くなってたのもあり、凄い盛り上がり
でした。

このままず~~っと、歌を聴いていたい!
このまま倒れるまで、応援したい!
例え倒れても、応援し続けたい!
そう思えた瞬間でした。

ここまで。

まさにこれじゃないか!

多分台湾でライブをやるわけじゃないから、歌うことはないだろう。
でも、異国の地に馳せ参じて、言葉が通じない中、数は少なくとも日本語で応援するファンがいたとき、ほんの少しだけでも心強いと思ってくれればいい。

そんな想いで26年ぶりにパスポートを取得することを決めた。

しかし・・・

26年ぶりに海外に行く理由が、またおっかけとはw

だが、俺は思う。
人はなぜ旅をするのか?

その本質は人に会うためだ!

そこに行きたいのではない。
そこにいる人と会いたいからなのだ。

だから間違っていないと思う。