このことを書くべきか、書かざるべきか・・・
非常に迷ったが書くことにした。

内容は至って暗いので、あまり読まない方が良いと思う。




台湾への出発もあと一週間に迫った日のことだ。

俺が今住んでる家は友人の持家で、二世帯住宅のような作りになっている。
二階建てで、友人は二階に住み、その一階を間借りしている。
古くて、色々不具合もあり、文句を言えばきりがないけど、今まで住んだどんな家より広く、その広さに到底見合わない家賃で住ませていただいている。

仕事から帰宅すると玄関のチャイムが鳴った。
休日こそ友達が集まってくるが、平日の夜の来訪者はめずらしい。
はて?誰だろうと思ってドアを開けると、そこには大家さんの離婚した奥さんが立っていた。
どうしたのかと思ったら、子供たちを迎えにきたという・・・

そういえば夏休みだから子供たちが遊びにきていたな~と思ったら

実は事故にあったらしく、それで子供を迎えにきたのだとか・・・

習慣とは恐ろしいものである。
俺は事故と聞いても、それが命に関わるような大事故だとはこれっぽっちも思わなかった。
こんなことを言うのも失礼な話だが「またか?」と思った。
小さな事故は結構な頻度であるし、俺が知るだけでも一か月ほど車が帰ってこない事故もあったからだ。
週末に見舞いにでも行くかと軽く考えていた。
そのことを近所に住む、俺も大家もお世話になってる人に報告した。

翌日の昼前、携帯に着信履歴があることに気付く。
そのお世話になってる人からだった。
留守電が入っていたので聞いてみると・・・

「大家さんのことでお話があります。また連絡します。」

それだけだった。
しかし、それを聞いた瞬間から怖くて震えが止まらなかった。
丁寧な話し方をする人ではあるが、なんとも暗い話し方で要件を言わない。
いや、言わないのではなく、言えないに違いない。
留守電にいれるべき内容ではなく、直接話すべき内容・・・
それがどんな内容かは想像がつく・・・

頼む!そうじゃないであってくれ!

何度もその人に電話をするが繋がらない。
一刻も早くその恐怖から抜け出したかった俺は大家本人の電話にも電話した。

出ない。

お願いだ!生きていてくれ!

もう仕事など手につかない。
そして、次に俺の電話が鳴ったとき、一番望まない結果を聞くこととなった。

それでも信じられない。

会社の上司には多分こんなことを言ったと思う。

「今僕が住んでる家の大家が友達なんですが、その友達が亡くなったので早退させてください」

一体なんのことなのかわからないだろう。
でも、そう言うのが精一杯だった。
鞄を持ち会社を飛び出して、搬送先の病院に向かった。

俺はパニックになると、必ずまっ先に連絡する友人がいる。
男の中の男と慕う頼れる友人だ。
彼もまた大家とも友人であり仲間だ。

「何を言っちゃってるの?」

と全く信じられないという反応だったが、それが真実と受け止めたのだろう。
電話の向こうで声をあげて泣きはじめた。
電話をしながら駅に向かう俺の顔を、すれ違う人がみんな見ていく。
俺も泣きながら歩いていた。
電車の中でも涙が止まらなかった。
このときほど誤報であって欲しいと思ったことはない。

病院の最寄駅から病院まで、暑い中を小走りで向かった。
受付、警備室、集中治療室と案内され、最後に看護師に

「もうお帰りになりましたよ」

と言われた。
即座に家に向かおうと思ったが、そこで疲れを感じ自動販売機で冷たいコーヒーを買った。

冷たくてとてもおいしかった。

俺は冷たいと、おいしいと感じることができる。
でも、もうあいつはそれを感じることができなくなってしまった・・・
コーヒーの缶を握りしめながら、ただただ悔しかった。

そのあと家に戻ったが、二階には誰もいなかった。
葬儀場にそのまま送られたか、葬儀屋の霊安室か・・・
一人、居間に座って茫然とした。

友人たちに連絡をしながら、上司にもちゃんと説明しなきゃならないと思ってメールを書きながら、やっと今日がsweet ARMSのライブだということを思い出した。
まさか今夜がお通夜なんてことはないだろう。
今更ジタバタしても始まらない。
時間的には行こうと思えば間に合うが、今のこの気持ちでライブを見て楽しいわけがない。
永遠にモギラレルことのないチケットとしてそっと引出にしまった。

やがて、親族と連絡がとれて、葬儀の日程を聞き、また連絡をまわした。

その夜・・・

実は6月末の給料から家賃を払った後、泥棒が入って盗まれたということがあった。

彼はJ2のサッカーチームのサポーターで、全国を駆け回る人だった。
上と下に住んでいながら、一か月近く顔を合わせないこともあった。
家賃は手渡しだったので、会えたときに渡さなきゃと夜中に帰宅したときに地下のガレージで渡した。
それを彼はGパンのポケットに突っこんだということだが、俺はそれを知らない。
彼が言うには、その後遠征に行って帰ってきたら、家に泥棒が侵入し、他の何も物色せず、そのGパンのポケットから金だけを抜いて、鍵を閉めて出て行ったそうだ。
俺はそんな泥棒がいるわけがないと言った。
払った家賃を何に使おうと人の勝手だ。
だが、俺も死にもの狂いで払ってる家賃を、そんなことで盗まれましたってどうゆうこと?と言うと
あんな時間、あんな場所で渡す方がおかしいと言われた。

結局、その口論はしばらく続き、以後家賃は振り込みということになった。
そして家の鍵は全部交換し、管理も厳重にすることで話はついた。

こう書くと、対策だけ話し合い、わだかまりが残ったままのように思われるかもしれないが、実際には朝までお互いの活動についての話をした。

彼とはおニャン子クラブのおっかけをやっているときに知り合った。
当時、車も免許はもちろん、原チャリや、その免許さえ持っていなかった俺は、彼に随分とお世話になり、色々なところへ連れて行ってもらった。
おニャン子が解散して一年経ったとき、代々木体育館の前でビデオコンサートやろうぜ!と言ったら二つ返事でやろうと言ってくれた仲間だ。

そんな若かった頃から27年経って、お互い道は違うけど、好きなことを一生懸命やることだけは変わらないし、お互いその姿勢を認め合える仲間だった。

金はないけど、少しでも安く行ける方法を考えて試合に行くよと言っていた。
俺も台湾に行こうと思ってると言うと、お前が海を超える時の理由はいつも同じだなと笑いながら、行って来いと言ってくれた・・・

鍵の交換スケジュールについても色々話したが、俺が都合が良い時は彼は試合で、彼が都合が良い時は俺はイベントで、中々調整がつかなかった。
結局平日の朝、俺が出勤する前ならOKということで、8月7日の朝に鍵を交換した。

その交換した新しい鍵を受け取ったのが彼との最後の会話だった。

告別式で最後のお別れをするとき、もう泣くもんかと思ったが、涙が止まらなかった。
そして、最後の最後に出てきた言葉は

ありがとう!

しかなかった。

出発を4日後に控えて、葬儀は終わった。
その夜、彼の長男が家に来て、これまた朝まで語り合った。
俺が知ってる息子が知らない話。
家族だからこそ知る俺の知らない話。
なんか友が一人亡くなり、友が一人増えた気がした。

俺はこの状況の中、台湾へ行ってもいいのだろうか?
自分だけ楽しい思いをして良いのだろうか?

自分に問うた・・・

きっとあんたは、行って来いと言うはずだ。

都合良くとらえすぎかもしれない。
でも、俺が逆なら絶対言う、しみったれてないで応援しに行け!と

だから、俺は台湾に行くことを選択した。

俺はまだまだ生きて生きて生き抜いて、仕事も好きなことも一生懸命やって、楽しんでうまいもの食ってそれから逝くよ。
あんたのバイクは必ず俺がなおして息子に渡すから、どうか見守ってやってください。