子供の頃からプロレスを見ていた。
全日、新日、国際、全女とテレビでもプロレスは地上波で定期的に放送されていた。

小学生の高学年くらいのときに体育館の体操用のマットの上でプロレスごっこをしたことは楽しかった思い出である。
ドリラホールパイルドライバーなどは股の高さから頭を打ち付けるわけだが、実際には腿の太さでカバーされ脳天への打撃にはなりにくいからよくやっていたが、さすがにツームストンだと膝が先に着地するようにしないと、プロレスゴッコではなく殺人技になるのでやらなかった。
同じく一人では持ち上がらないのでツープラトンのブレインバスターはやっても、背中から落ちるので全く痛くなかった。
当然垂直落下などやるわけもない。
子供であっても、これはやってはいけないってことがわかっていたのだと思う。

初めて生で観戦したのは大人になった92年のことである。
久しぶりにテレビで見た女子プロレスが面白く、この年の夏ぐらいから団体交流戦も始まり、ついには生で観戦に行ったのである。

女子プロレスはビューティーペア、クラッシュギャルズと宝塚的な人気があったが、プロレスとしてはいかがなものかと思っていたが、男子に負けない見ごたえのあるプロレスに変わっていったのはブル中野の存在が大きいと自分は思っている。

その中で俺が好きだったのは豊田真奈美だった。
この人描くスープレックスのアーチと、躍動感たっぷりのドロップキックは芸術の域だと信じて疑わなかった。
だが、説得力と言う点では別である。

俺の考える説得力とは如何に高いところから脳天を真っ逆さまにキャンバスに叩きつけるかである。
トップロープ最上段からの・・・ってのを抜かした場合、肩の高さから真っ逆さまに落とせる垂直落下式ブレインバスターやそれに類似する技は、これをくらって立てるわけがないという説得力がある。
つまりは、子供のときにこれをやったらプロレスごっこではなく死んでしまう類の技である。

そんなエグイ技の中で飛び切りのエグイ技がノーザンライトボムである。
落下する高さは脇の下の高さであるが、ブレインバスターが倒れこむという感じに対し、この技は自分の体重ごと打ちつける感じ。
この技の使い手、北斗晶のブル中野以外は眼中にない、つまりトップを取りにいく姿勢や、常に攻撃的な態度とあいまって、非常にかっこよく見えたのである。

俺が初めて見に行った試合でブル中野はアジャコングに王座を明け渡し、ここから北斗はアジャの首を狙いに行くのかと思いきや、神取との抗争に突入していく。
そして翌93年は、まさに北斗晶を中心に女子プロレス界が動いていたと言って良い年だったと思う。

さて、その頃の俺はオフィス家具の組み立て職人だった。
それなりに体力を使い、汗をかいて一日を終わり、一風呂浴びてから飲みに行くのが楽しみだった。
若さゆえに無茶な飲み方もしたwそれがたたり、肝臓とすい臓を壊した。
医者からは酒とタバコを禁止され、厳しい食事制限を言い渡され、睡眠時間も指定された。
食べたいものを食べれず、酒は飲めず、タバコも吸えないし、夜更かし禁止、おまけに毎日点滴を打ち、しまいには肝臓は治るけどすい臓は一度壊れると治らないと言われる。
腹部と言うか、背中にはいつも鈍痛があり、こんなのがずっと続くなら死んだ方がましなんじゃないかと思うほどだった。

聞けば北斗晶は頸の骨を折り、瀕死の重傷の中から復帰しトップファイターとして戦っている。
彼女が繰り出す必殺のノーザンライトボムは、そんな頸を折った経験があるからこそ説得力があるのかもしれない。

北斗晶の座右の銘

「この道より我を生かす道は無し、我この道を歩く」

武者小路実篤の言葉にも似ているが、頸を折っても私にはプロレスしかないと命を懸けて歩んだ道なのだと思う。
それを知って以来、俺もこんなことで負けるわけにはいかない!必ず完治してやると決意した。
毎日通院するときも、点滴を打つときもLuis MiguelのOro de Leyを聴いていた。
無論それは北斗晶の入場テーマ曲だったからだ。
一時期、俺の車ではこの曲しかかからない時期があって多くのクレームを受けたことがあるw

その後、俺は完治した。
完治に至ったことは別の要因があるが、病に向き合って闘って勝とうという勇気は北斗晶から貰ったと言っても良いだろう。
今の俺がどれほど酒飲みでヘビースモーカーかは近しい皆さんは知っているだろう。
だから、こんな過去があったことは信じてもらえないかもしれない。

さて、このことを書くのは初めてではないかもしれないが、今日書いたのは他でもない。
そんな北斗晶さんが今再び命の危機に瀕している。
俺の母親も俺が12歳のときに癌で亡くなった。
聞けば下の息子さんはそんな年頃のようだ。

俺の母親が死期を悟ったとき、俺が成人するまでは生きていたいと泣きながら抱きしめられたことは生涯忘れない。

母として、どうか生きてください。
俺に病に立ち向かう勇気をくれた強き人よ!また元気な姿を見せてください!

完治、早期回復を心よりお祈り申し上げます。